私の司法試験合格までの道のりをまとめました。お読み頂ければ幸いです。

■司法試験を目指す!

私は大学で数学やコンピュータを学んでいて、卒業後はUターンして銀行のIT部門でプログラマーをしていました。
27歳のとき結婚を機に退職しましたが、
これから何をしようか、私の人生はこのままでは終われない…と思っていました。
私は、人生を賭ける仕事(ライフワーク)を探したいと思いました。
パートをしながら、お花、お菓子作り、ジャズボーカル、フラメンコなど試してみましたが仕事につながりませんでした。

ちょうど、雇用保険の教育訓練給付金制度を使えることになり、英会話3ヶ月のレッスンを申し込みました。
私はライフワークが見つからなかったので、もう英語を極めて英語の仕事をしようと思っていました。
そんな思いで通うことになった英会話教室のグループレッスンで、私は司法修習生(司法試験に合格した人)に出会いました。
その方は大学を卒業したばかりの女の子でした
私は、弁護士=男性のおじさん というイメージを持っていたのでそのイメージが崩れていきました。

私は英会話教室に通いながら、彼女が弁護士という目標を持ちそれを実現させ人生を進んでいたことを羨ましく思っていました
模擬裁判の話を聞きながら、弁護士ってカッコいいなと思いましたが自分が弁護士を目指そうとは思いませんでした。
ある日のレッスンで、カナダ人の先生とその彼女と私の3人でディスカッションをすることになりました。
テーマは職業について。
先生が何気に「女性は能力が高いので、海外では女性の医者や弁護士が多い」と言いました。
私はそのとき、”私も女性だから、能力が高くて弁護士になれるんじゃないか・・・”
”私が弁護士を目指してもいいんじゃないかな”って思ってしまったのです
そして、英会話教室の帰り道、自転車に乗りながら、「私がずっと探していたライフワークは弁護士かもしれない。きっとそうだ!」と嬉しくなりました
そして合格後のイメージがありありと浮かんだのです。
ちなみにそのイメージは、地元の新聞に合格者としてインタビューが載るというものでした(実際はインタビューを受けることはありませんでした(笑)。)。
そのとき、私はなぜか絶対に合格すると確信していました(脳内お花畑)。
今思えば、自分の頭の中に「無理だ」という制限を設けず、合格した状態を体感するということがキーポイントだったと思います
私は司法試験を目指すと決めて、行動し始めました・・・。

■上京

平成13年秋、司法試験を目指すと決めたものの何から手を付けてよいかわからず書店で司法試験に関する本を購入し、もっぱらネット掲示板で情報を入手しました!
そして平成17年まで旧司法試験の合格者が増え続けるチャンスの時期だと分かりました
パートをしながら司法試験予備校の通信講座を申し込みましたがチンプンカンプン。
勉強のやり方がわからない…
地方は情報が少なすぎてハンデがあるなーと思いました。
そして、経験を積むために平成14年5月福岡で択一試験(マークシート試験)を受験しました。
合格する実力も予感もないまま、受験会場の西南学院大学へ向かいました。
試験問題の説明文に色ペンを使ってよいと書いてあったので問題文にマーカーで色を付けたり(普通はそんな余裕ありません)、他の受験生を観察してました。
必死に問題を解いている人々を見ながら、きちんと勉強してここに来たかったなーと思いました。
ただ、一番の収穫は受験生がこんなにたくさんいるということを体感できたことでした
福岡でこんなにいるのだから日本全国に相当いるんだなと思いました。
私は井の中の蛙だ…と思って帰ってきました
試験が終わりこのままではダメだと思いました。
福岡でこんなにたくさん受験生がいるのだから東京はもっといるだろう。
東京の受験生と戦わないと合格できない気がする。
しかもチャンスはあと3回
今、東京へ行かないと一生後悔する…と思いました。

そして、私は2か月後に家族を連れて上京しました。
物事がトントン拍子に進むとはこのことかと思いました。
この頃はただ受験のスタートラインに立てたとことが嬉しくて、この先の受験生活の辛さなんて思いもしませんでした…。

■覚悟を決める

東京での生活は、学費が掛かるので節約生活となりました。
私は念願の予備校に通い始めました。
日中は予備校の自習室、夜は近所のカフェで勉強をしていましたが勉強のやり方がわからず試行錯誤していました。
予備校帰りの地下鉄のホームで”勉強の成果は出てないけれど、自分がやりたいことができていてこのまま死んでも悔いはない”と思ったことがありました。
この頃、私を突き動かしていたのは情熱だったように思います。

あるとき、大学教授が書いた法律の本(基本書)というものを知りました。
予備校のテキストで省かれている部分が基本書には載っていました。
つまり、予備校テキストは基本書をまとめたものなんだ~と(当たり前ですが)種明かしされたような気分になりました。
基本書を読むようになってから勉強が楽しくなりました

平成15年の択一試験はあと一歩というところで不合格。
この頃は、まだ心に余裕がありました。
そして、択一試験合格を目指した平成16年は択一試験に合格できました。
大喜びしました・・・
が、次の論文試験の実力はありませんでした
本試験では何を書いたかも記憶にありません。
なのに私は、
”万が一論文試験に合格していたらどうしよう”って思ったのです。
私の答案がだれかのものとすり替わったり、入力ミスがあったりして(妄想)。
私は万が一合格していた場合に備えて、次の口述試験(面接試験)の対策をするためにゼミに参加することにしました。
実力の足りない私は、ゼミで足を引っ張っていましたが、高レベルの法律の話や論文の勉強方法を聞くことができました。

10月の論文試験の合格発表はやはり不合格(ビリの方)

季節は秋、受験生の雰囲気も変わっていました。
旧司法試験で合格者が増える機会は来年までとなりました。
これまで一緒に旧試験を目指していた人も、旧試験をやめて新試験に切り替え始めていて私は焦りを感じました。
このとき初めて、お花畑状態だった私に現実的な考えが浮かびました。
やっぱり無理なんじゃないか・・・。
そもそも無謀だったんだ・・・。
家族を巻き込んで人生を狂わせてしまったんじゃないか・・・。

私は夫に試験はもうやめようと思うと言いました。
すると夫は来年ダメでも合格するまでチャレンジすべきと言いました。
夫は私が弁護士になることを信じ続けていてくれたのです。

私は、自分に対して怒りが湧いてきました。
あと1年あるのに何を諦めているんだ!
何もやらないないうちから諦めるなんて!
論文の勉強をすればいい!
もうこれ以上やれないくらいやってみよう!
初めて覚悟しました。

私は、論文試験に的を絞りゼミで聞いた合格者の勉強方法を真似しました。
すると、私の論文の成績が上がり始めました。
自分に合う勉強方法だったと思いました。

結果を出した人の話を聞くことは受験でもビジネスでも鉄則だと思われます

■合格まで突っ走る

受験勉強でよく言われることですが、多数の受験生がやっていることをやることにしました。
他の受験生が知っている問題を知っておくために、各予備校が作った問題を集めたり大学の講座を受けたりしました。
論文の勉強ばかり取り組んだことと、4月にパットメセニーグループのコンサートに行ったからか平成17年の択一試験はギリギリ合格となりました

このほか、体調にも気を付けていました。
択一試験のときは3時間半お腹が空かない食べ物を探しました
論文試験では試験当日をピークとするために緊張感を保つよう工夫しました。
勉強だけでなく体調を整えることが重要だと思いました(アスリートと同じですね)。

論文試験前日、私の脳は不思議な状態になっていました
本を見るだけで書かれている内容が写真を撮るように、一瞬で頭に入ってきました。
まるで脳がスポンジになったような感覚で、それを客観的に見ている自分がいました。
ゾーンに入っていたのかもしれません。
本試験1日目が終わると、頭痛がして眠れないほどでした。
脳がものすごく活性化していたのかも・・・(このせいか、後日産後うつになる。)。

そして、私には奇跡がありました
試験の一月前に受けた模擬試験の答案が郵送で送られてきたのですが、私は面倒がって封を開けずにいました。
試験の3日ほど前に気になって開けてみると、私が致命的なミスをしていると指摘されていました。
基本的な問題でしたが私にとっては知識の穴の問題でした。
そしてこの問題が本試験に出ました!

私は最後の1年はあらゆることをやりました。
もし不合格だったら、これからどうやって勉強すればいいだろう(これ以上できるだろうか)・・・
と思うほどやり切りました。

振り返ってみると合格への道には重要なポイントがあり、どれか1つ欠けても合格できませんでした。
そして、まとめてみるとこんなところでしょうか
・自分自身が責任をとると覚悟すること(ダメでもいいと腹をくくる)。
・行動してやり切ること。
・重要な情報は何気ない形でやってくること(受信アンテナを立てること)。
・無理と思わずチャレンジすること。
・体を大切に

最終合格した後、私は燃え尽きました。
なぜなら私の目標は司法試験合格だったからです。
くれぐれも目標設定を間違えないように(笑)

弁護士の仕事は、人間関係の揉め事を扱うので大変な仕事と分かったのは実務をやってからです。
様々な経験を積みながら弁護士になっていく・・・と思う今日この頃です。